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同期会が見せてくれた初夢

2010.01.06

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平成二十二年正月二日、旧仙台ホテルそばの居酒屋日本海庄やに母校仙台一高同期三十名が顔を揃え、卒業三十年、そして五十路の突入を記念して祝杯を挙げた。同期会が第一回目だということに驚いた者が多かったのは、ふだんそれほど疎遠だったという証だろう。参加人数が少ないので娘にクラス会と勘違いされた者もいたと聞いて可笑しかった。
見た目は布袋様、恵比寿様のようでも、一たび友情の福袋を開けば、少年に戻ってあれやこれやと大はしゃぎする。男子校の好さとはこういうものであろう。きっとこれからは毎年誰かが旗振りになってこの会が継続され、参加者も漸増するに違いない。一回目の旗振り役を買って出てよかった(実は、これは某先輩から勧められてのことであった)と、皆の笑顔を見て心地よく酔いしれながら思った次第である。(感謝歓喜!)
振り返れば、我々世代の成長と、同窓会、町内会、青年団といった共同体の衰退は歩みを同じくしていたような気がする。活気あふれる町、活気あふれる学び舎は小学校時代まで遡らないと思い出せない。高校時代にはすでに個の時代が忍び寄ってきていたような気もする。「何でも一高」に代表される共同体としての一高の団結力は、我々の頃には過去のものになりつつあった。それを象徴する出来事が高二のときの一高祭中止であったろう。翌年、最高学年になった我々が復活させなければ、制服同様、一高祭は永久廃止の憂き目に遭っていたかもしれない。
今回、その時一高祭復活に全精力をつぎこんだ友人が参加申し込みのどん尻であった。彼の参加は一入うれしかった。また応援団長も参加。強かったフェンシング部もこぞって参加。改めて顔ぶれを眺めれば、高校時代に共同体一高の魂をなんとか受け継いだ者達が帰って来たのである。自分以外のもののために熱くなれる者達であった。
私は思う。これからの十年、個の国日本は、衰退してしまった共同体の一つ一つを復活させ得るかどうかにかかっているのではないかと。最小の共同体である『家族』も含めて。
お正月は好いもんだ。同期会は好いもんだ。
一高祭を復活させた我々同期が、赤き真心を胸にそれぞれのフィールドで失われつつある大切なものを救い上げ、次代に伝えていき、校歌に謳われている通り国の発展のためにとてつもなく大きな役割を果たす。そんな初夢を、私は同期会に見せてもらった。

振り返って手にする喜び

2009.10.10

 「近松と青果」-時を超えてその傑作の再誕-仙台公演千秋楽から早一週間が経ち、残務整理も粗方済んでやっと落ち着いた。今回の公演のパンフレットのあいさつ文の焼き直しになるが、歩みを止めて振り返るというのはなんという贅沢なことだろう。私たち現代人は日ごろ前ばかり見て歩いているような気がする。7月後半からの二ヶ月にも及ぶ稽古期間中、先人たちの残した名作に身を浸し遠い昔を振り返りながら、私は忘れかけていた大切なものを数多く思い出した。
 人間だけに与えられたこの“足跡を振り返る”という行為。これを放棄したとき、人間は一気に禽獣化するのではなかろうか。
 自分のアルバムをめくる時間さえ失いがちな昨今。せめて芝居を見るときぐらいは旧き名作に泣いて、稽古場での私と同じように、日々の生活の中で忘れたり、捨てたりした大切なものをお客様にもう一度手にしてもらえたら、そう願って今回の芝居を創った。
 もしかしたら泉下の近松も、青果も、そんな我らの姿を幻に見ていたのではなかろうか。そう、彼らはきっと未来の私たちを信じて作品を書いた。だから私も、未来の子たちの中に失われぬであろう人間の心を信じて創作を続けて行きたい。彼らもきっと振り返り、遠い昔に生きていた私たちを思い出してくれるだろう。
今回の創作をもって、私は新しい起点に立てたような気がしている。まさしく温故知新とはこのことかもしれない。

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大日座旗揚げ公演

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2009.10.10

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