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原発…電気自動車やオール電化住宅はエコ??

2012.03.02

福島第一原発の事故以降、多くの方々が「脱原発」を考えざるを得なくなっている。今回の原発事故は、1号機から4号機までがメルトダウンするというもので、実際には30km圏内に住むことが出来なくなったチェルノブイリ事故よりも深刻な事故となった。しかし、民間事故調で明らかになったように、使用済み核燃料プールが崩壊すれば、少なくとも170km圏内、最大で250km圏内が避難地域になったという。それは東北地方の青森を除くすべての県庁所在地と東京をも含むもので、パニックを恐れた国によって隠された。

しかし、現在の爆発を起こした原発建屋の状況を見れば、使用済み核燃料プールが無事であることは奇跡的な状況で、4号機のプールなどは、写真を見ればいまだにその危険は去っていないように見える。たった1ヶ所の発電所で、場合によっては国民の半分以上が避難しなければならないような設備を、今後もこのままにしておくことなどできるわけがない。私たちは真剣に脱原発を考えなければならない。

しかし、それは言うに易く、行うに難しである。これまで、日本の産業や個々人の生活は、好むと好まざるとに関わらず原発に依存していた。この原発事故を契機に、風力発電や太陽光発電などの再生可能エネルギーについて取りざたされている。しかし現実的には、それらはまだまだ未解決な問題があり、短期的にどうにかなるものではない。当面、私たちが考えなければならないことは、私たちの生活水準を幾分か下げてでも、エネルギーの消費を抑えることだと思う。

かつて、オイルショックのときには、テレビの深夜放送などが休止した。「喉元過ぎれば熱さわすれる」で、その後オイルショックが解消すると、いつの間にかもとに戻り、現在はあの時代よりもはるかにエネルギーをジャブジャブ使っている。街中を歩けば、無駄に電気を消費している自動販売機が林立し、夜になればパチンコ屋の過剰な電飾がギラギラと夜空を気持ち悪い色で染めている。さらには、電力を「浪費」させたい電力会社に乗せられ、やれオール電化住宅だ、電気自動車だと、それらがあたかも「エコ」であるかのような嘘がはびこっている。

原発事故のあった当初、「オール電化住宅」のロゴを入れた東電の営業車が数箇所で汚損され、東電は「オール電化住宅」のロゴを営業車から外したと聞いた。しかし、最近また各所でそのPRを見るようになった。東京電力も、いまだにそのPRに余念がないようだ。
http://www.tepco.co.jp/e-rates/individual/menu/home/home01-j.html
要するに、夜間電力を使って蓄熱し、家庭で使う全てのエネルギーを「クリーン」な電気にしようということだ。

しかし、これでエネルギーの消費は少なくなるのかと云うと、当然そんなことはない。むしろ電力の大量消費を前提にしており、その電気の多くは、これまで揚水発電のための揚水などにまわされていた夜間電力を多く使用し、その分原発などへの依存は大きくなる。このオール電化住宅を、東電や住宅会社は、リッチな医者や学者、文化人などの住宅新築に「エコ」であると売ってきた。

また、最近「エコ」で流行の兆しがある「電気自動車」も同様で、夜間電力を大量に使い、もし巷に電気自動車があふれたら、原発を何基つくっても追いつかないことになるだろう。これらの「デマ」に、医者や文化人など、リッチで知的水準もそれなりに高いだろうと思われる方々が騙されている。

そんなこんなを思っているうちに、「脱原発」を盛んに口にし、活動している坂本龍一氏が、おどろくことに、この電気自動車のCMに出ていた。
http://www.youtube.com/watch?v=bd1LxDGu8Z8
あきれかえるばかりだが、彼らにとって、オール電化住宅や電気自動車とともに、「脱原発」も、ファッションの一つなのかもしれない。このような方々は、原子力が「二酸化炭素を出さないクリーンなエネルギー」と言っていた原子力専門家と私には同様に見えてならない。

原発…原発マネーの麻薬中毒

2012.02.27

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>これは現実的に考えれば、原発を受け入れたことが「誤り」だったにせよ、自ずから選択し、長年利益を享受してきた双葉郡が受け入れるしかないだろう。例え受け入れなくても、今後少なくても50年単位で双葉郡の地は放射能汚染が続くのだ。理性的に考えれば中間貯蔵地は、事故の発生源でもある双葉郡しかないだろう。<

福島県はこれまで「うつくしま福島」をキャッチフレーズにしてきた。その中でも原発がある浜通りは美しい地だ。しかし、この福島県には、「うつくしま」とはとても言えない、麻薬のような原発マネーがはびこっていた。

私は、震災の約1ヶ月前に福島県の浜通りを訪れた。原発立地の大熊町や双葉町の海岸は、冬にも関わらず輝く日差しの中にあった。この地に伝えられる様々な民間伝説をたどって内陸部にも入り込み、地元の方々の素朴な心に触れながら取材した。

それが今は、見えない放射能により汚染され、訪れることもできない。また役場も含めた全町避難で、お世話になった地元の方々も含め、住民の殆どは今も各所で避難生活を送っている。悔しい限りである。

福島の浜通りを訪れたとき、懸念したことがあった。それは国道6号線沿いに点在する、Jビレッジを初めとする、個人的にはあまり好きではない、人工的に整備された運動公園や立派過ぎるハコ物などの設備だった。町の規模に対してあまりに立派で、その維持費等を考えると不相応といえるもので、原発マネーに、アヘン戦争の際の清国のようにどっぷりと浸っている感じがした。

詳しい数字は分からないが、双葉町は年間予算の半分以上が原発マネーで、この人口7000人ほどの町に、恐らくこれまでの40年間で、少なくとも1000億以上の原発マネーが投入されたと推測できる。それは4人家族で、1家族5700万円以上にのぼる。さらには、東電の社員であったり、その関連の仕事をしていたりと、町全体がそこから得ていた「利益」は膨大な金額に上るだろう。

しかし、それでも全町避難の双葉郡の町村の今回の被害はまったく見合うものではない。チェルノブイリの例を見れば、今後何十年もの間、人の住める地ではなくなるだろう。住民が懸念しているように、地図から大熊町や双葉町の名がなくなるというのも、あながちない話ではないと思う。

しかし、皮肉なことに、原発立地の自治体の住民らが望んだ「雇用」は、これから廃炉や除染という新しい形で、この地に膨大に生まれるだろう。しかしそれは汚染された地で、過去を否定しながらの、長期間の、自ずから掘った墓穴を埋め戻すような苦しい作業になるだろう。しかし今となっては、双葉郡の復興にはそれは避けて通れないものになってしまっている。

双葉郡の地には、これから墓穴を埋め戻す空しいが重要な作業が延々と続くだろう。悲しいことにこれはある意味で原発災害特需である。双葉郡の自治体は、表の豪華な公的設備や安楽な暮らしとは裏腹に、これまで40年の長きにわたって原発マネーの麻薬中毒に陥いっていた。これから、恐らくは100年間の長きにわたって、原発の墓穴を埋めながら、麻薬中毒から脱しなければならないのだと思う。

とあるインタビューで、双葉町の町長は、原発を誘致した責任については、「その責任はあり、原発を誘致した自治体はすべて同罪である」との考えを示­していた。現在の双葉町の状況を「反面教師にして欲しい」とも話していた。まったくその通りだと思う。

あの震災の1ヶ月前に見た双葉郡の美しい海は、今は震災前の美しい姿を取り戻しているかもしれない。しかし人々が営々として築いてきたものは全て荒れ果て、大気は見えない放射能で汚染され、一見美しい海も放射能に汚染されているだろう。

原発事故、福島県双葉郡は気の毒、しかし…

2012.02.25

日本人はいつから金や名誉で心を売り、真実を捻じ曲げるようになってしまったのか。原発問題の根深さは、真実を捻じ曲げた、国や電力会社や産業界、原子力専門家や、マスコミなどの大政翼賛会の「デマ」に、半ばそのデマに気付きながら、国民の多くが追従してきたことにある。

私を含む国民の多くは、原発が危険なものであることをうすうす感じながらも、原発大政翼賛会の流す「メルトダウンが起きる可能性など万が一にもない」などという「デマ」に盲従してしまっていた。電力をジャブジャブ使う、便利な生活を捨てたくなかったからだろう。自分の身近なところに原発がなければ、過疎地の住民が危険にさらされても構わないというような気持ちがどこかにあったのだろう。その多少の良心の呵責が、地域振興のためと称して、原発立地の自治体に「迷惑料」をつぎ込んだのだろう。

今回の原発問題では、日本国民の多くは、被害者であると同時に加害者でもある。原子力をクリーンなエネルギーとして結果として受け入れたのは国民である。オール電化住宅はエコだ、電気自動車はエコだと、原発を前提にした「デマ」に乗ったのも国民である。電力を無駄に食い続けている道端の自動販売機を利用してきたのも国民である。それらの小さな人間の傲慢さが集積された結果が、今回の未曾有の原発被害になったのだと私は思っている。

かといって、もちろんその責任を雲散霧消させるつもりはさらさらない。言うまでもなく最大の加害者は東京電力で、同等の加害者は国民の生活を守るはずの政府である。これまでの東京電力や政府の対応は腹立たしい限りで、感情的には、被害者の前に引きずり出して、人民裁判にかけたいくらいのものだ。

現在、全町避難している福島県双葉町の町長が、「安全委員会の委員の家族に住んでもらって、安全を確認させていただきたい」と野田総理に言ったと云うことだが、その言葉は感情的に過ぎるが気持ちは充分にわかる。この双葉町長は、原発に頼らない町づくりを試みたことがあるらしい。しかし、国の圧力や、「東電から金を引っ張り出すのが政治」という町の政治風土の中で、結局原発誘致にまい進することになり、議会ともども、さらなる原発7号機、8号機を誘致するまでになってしまったようだ。そしてこれらの町議や町長を選んだのは町民であり、その町民の多くも原発マネーで、他の地域よりも良い思いをしたのは確かだろう。

現在の原発周辺住民の受けた被害は余りにも大きい。これらを「自業自得」と切り捨てられるものではないが、直接的な利益がなく、原発からの放射能で被害だけをを受けている周辺自治体住民からすれば、感情的には、「これまでの原発立地自治体住民が得ていた有形無形の利益をすべて吐き出せ」ともなる。これは理性ではなく感情的な感覚であって、再度言うが、一義的な責任は東電にあり、そして国にあるのだ。

現在、周辺に拡散した汚染物質の中間貯蔵施設を、原発を誘致した双葉郡に置く案が国から示されている。もちろん双葉郡の住民からすれば感情的には受け入れがたいものだろう。しかしその汚染物質は双葉郡から出たもので、それを直接的な利益を得ていたわけでもない被害だけ受けている他の自治体が受け入れるわけもない。これは現実的に考えれば、原発を受け入れたことが「誤り」だったにせよ、自ずから選択し、長年利益を享受してきた双葉郡が受け入れるしかないだろう。例え受け入れなくても、今後少なくても50年単位で双葉郡の地は放射能汚染が続くのだ。理性的に考えれば中間貯蔵地は、事故の発生源でもある双葉郡しかないだろう。

---------->続く

シロアリになったドジョウ

2012.02.15

これは、例の野田総理の巨大ブーメラン「シロアリ」演説です。

http://www.youtube.com/watch?v=y-oG4PEPeGo

この演説で野田総理が言っていることは、私は全面的に賛成なのですが、どうも現在の政治を見ると、野田総理や民主党自身が「シロアリ」になってしまったように感じられます。

この演説の中で、

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その一丁目一番地、税金の無駄遣いは許さないということです。
天下りを許さない。渡りは許さない。
それを、徹底していきたいと思います。消費税1%分は、二兆五千億円です。
十二兆六千億円ということは、消費税5%ということです。消費税5%分のみなさんの税金に、天下り法人がぶら下がってる。シロアリがたかってるんです。
それなのに、シロアリ退治しないで、今度は消費税引き上げるんですか?消費税の税収が二十兆円になったら、またシロアリがたかるかもしれません。
鳩山さんが四年間消費税を引き上げないと言ったのは、そこなんです。シロアリを退治して、天下り法人をなくして、天下りをなくす。そこから始めなければ、消費税を引き上げる話はおかしいんです。
徹底して税金の無駄遣いをなくしていく。それが民主党の考え方であります。
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天下り法人にたかってる「シロアリ」を退治することもできず、マニフェストに掲げた公務員人件費20%削減も実現できず、まして自ずから身を切る議員の定数削減もできず、やったことは「事業仕分け」の学芸会だけで、結局はばらまきで史上最大規模の予算。

やることなすこと、野党時代に言っていたこととは裏腹で、その都度ブーメランの直撃を受けて、苦しい詭弁を弄している。民主党に政権交代してこの方、「ルーピー鳩山」「キチガイ菅」そしてドジョウ総理ならぬ「シロアリ野田」。次の衆院選では、まさか民主党が政権をとることはないだろうが、別種のシロアリが出てこないことを祈るばかりだ。

消費税を上げても何も解決はしない

2012.02.14

これまでのグローバル経済は、今、破局へ向かって進んでいるように思われる。ギリシャ問題やイタリア問題など、ニュースでも大きく取り上げられ始めている。しかし、解説者たちは何か他人事である。実は日本も、ギリシャやイタリアと同じ破滅の構造を抱えている。

日本の財政赤字は1000兆円に上り、ギリシャの25倍、イタリアの5倍以上もある。もちろん経済学的に、この金額だけが破滅の指標ではない。しかし問題なのは、このような巨額な財政赤字を生み続けている政治的構造に共通性が見られることである。

ギリシャやイタリアの政治状況に見られるのは、政治のポピュリズムである。選挙で勝つために、票の取れそうな政策を打ち出し、財政をかえりみることなく税金をばらまく。少し乱暴に言ってしまえばそのようなことだ。

日本では、民主党が政権奪取のために掲げた「公約」が、まさにこれにあたる。「子供手当て」「高速道路無料化」「高校無償化」「個別保障制度」、財源を考えもしないこのような風呂敷が、100万円の収入で200万円の暮らしをする、昨年度は92兆円を越える過去最大の予算となり、今年度も実質96兆円の予算となっている。

その上、本来切り詰めなければならない部分の、公務員改革や議員定数問題などの、自治労や身内の問題に切り込むことは出来ず、実効性のないパフォーマンスの「事業仕分け」の学芸会だけで終わっている。私が感じる、ギリシャやイタリアと同じ「破滅への政治状況」である。

現在の野田政権は、「不退転の決意」としてあげている消費税増税が、この財政と年金問題を解決する切り札のように喧伝しているが、これは真っ赤な嘘である。ギリシャは実に27%の消費税(付加価値税)をかけているにも関わらず、これまでの放漫なポピュリズム政策から、国家破綻に陥っている。やらなければならないのは、増税ではなく、公務員改革であり、行財政改革であり、輸出産業中心の産業構造の転換である。

この政治改革を、自治労を支持母体とした民主党が出来ないのは歴然であり、またこれまで、官僚政治と輸出産業の上に胡坐をかいてきた自民党でもはなはだ疑問である。日本の政治の閉塞は、このおそまつな二大政党で考えるしかないところにあるのかもしれない。

みんな嘘でした、野田総理の巨大ブーメラン

2012.01.21

野田政権もなんだかなー、というような具合になってきました。下は、某巨大掲示板への書き込みです。私も全く同じ感覚です。1日も早く、政界再編、解散総選挙が行われることを願うばかりです。

-----------某掲示板よりの民主党批判
・政権交代が最大の景気対策です。  →嘘でした
・4年間でマニフェストを実行する  →嘘でした
・埋蔵金60兆円を発掘します    →嘘でした
・公共事業9.1兆円のムダを削減  →嘘でした
・天下りは許さない          →嘘でした
・公務員の人件費2割削減      →嘘でした
・増税はしません           →嘘でした
・暫定税率を廃止します        →嘘でした
・赤字国債を抑制します        →嘘でした
・沖縄基地は最低でも県外に移設  →嘘でした
・内需拡大して景気回復をします   →嘘でした
・コンクリートから人へ      →嘘でした
・高速道路を無料化します     →嘘でした
・ガソリン税廃止          →嘘でした
・消えた年金記録を徹底調査    →嘘でした
・医療機関を充実します      →嘘でした
・農家の戸別保障          →嘘でした
・最低時給1000円          →嘘でした
・消費税は4年間議論すらしない  →嘘でした
・日経平均株価3倍になります   →嘘でした
・情報公開を積極的にします。   →嘘でした
・子供手当26000円支給します →嘘でした
・八ツ場ダム建築中止  →嘘でした
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さらに、野田総理の野党時代の巨大ブーメラン。まあ、観てください。笑うどころではないのですが、笑うしかないのが悲しい限りです。批判する気にもなれません。

http://www.youtube.com/watch?v=y-oG4PEPeGo

祈・今年は良い年でありますように。

2012.01.02

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今年は、どうぞ良い年でありますように。

昨年は、あまりにも多くの方々の命が失われ、多くの悲しみがみちのくを覆いました。未だに多くの地域では復興どころか瓦礫の処理すらままならず、美しさを取り戻しつつある風景にも、放射能が影を落としています。

この「みちのく悠々万歩計」に掲載している伝説や歴史を伝えるものも、津波に流され、あるいは崩れ、失われたものもおおくあろうかと思います。

形あるものはいずれはすべて失われるのが定めなのかもしれません。しかし、それらをこれまで大事にしてきた地域の誇りや心は、地域の方々の心が折れなければ、永く失われることなく続くものと信じています。このサイトでは、これまで以上に、みちのくの誇りと心を伝えていこうと思っております。

亡くなった多くの方々の冥福を祈るとともに、「今年は良い年でありますように」と、心から祈念するものです。

※写真は松島の初日の出

原発…ポポポーン

2011.12.30

今回の震災での原発被害は、東電が言っているような「想定外の天災」などではなく、人間の傲慢さから来る人災であることは明らかである。そもそも原発は危険で迷惑なものであることは、殆どの者が知っており、だからこそ、東京電力は東京湾に原発を造らずに、営業圏外の福島に造ったのだろう。首都圏の住民たちは、原発が東京湾に造られるとなれば、恐らく大反対するのだろうが、福島に造られることには、危険性は承知の上で見てみぬふりをしたのだろう。

また、福島に限らず、原発を誘致した自治体も、その危険性はある程度は承知していただろう。危険でもないのに、地域に莫大な金が入るはずもない。そんなことは子供でもわかることだ。国は、電力会社を後ろから支え、産業もなく、過疎に悩む地域の弱みに付け込むようにして、札束で面を張るような形で、地方に原発の危険を拡散した。

原発を受け入れた自治体やその住民にも、当然のことながら責任の一端はある。現在、原発被害の渦中にある該当地域の方々には酷かもしれないが、それでも被害者であると同時に、加害者であることも事実である。福島県知事や、原発立地の自治体の首長や住民たちが、被害者の立場だけが強調されて伝えられていることには、いささかの違和感を感じる。自分たちが誘致し推進し、有形無形の恩恵を受け、支えてきたはずだ。それが広く他の関係のない地域まで放射能の汚染は広がっているのだ。当然、被害者の側面だけであるはずはない。

また、国策にのり、電力会社から「賄賂」ともいえる寄付や研究費や、社会的立場を得て、「プルトニウムは飲んでも安全」などと語り、オウム真理経真っ青の「安全神話」を作り上げ、原発立地の尖兵となった「専門家」なども言語道断だ。彼らは、その安全神話で、多くの住民たちを「騙し」、危険を全国にばら撒いた。しかし、実際には、大量に出る汚染物質の処理方法も確立しているわけでもなく、絶対に必要となる最終処分地のメドすら立っていないのが実情だ。

また、多くのマスコミも、公正でなければならない社会的使命を忘れ、「安全神話」を拡散するのに、一役も二役もかっていた。公共広告機構には、マスコミ各社に加えて、全ての電力会社が理事として参加しているなど、マスコミに対しても、一定以上の影響力を持っている。電力各社は、ほぼその事業を独占しており、本来広告の必要など無いにも関わらず、マスコミ各社に「賄賂」ともいえる圧倒的多額の広告料を支払っている。

その繋がり(支配?)はかなり強いものらしく、現に今回の福島原発の事故の際にも、東京電力会長は、マスコミ各社の幹部、OBを引き連れての中国への接待旅行中だったとも伝えられており、その関係はズブズブのものといえる。また、言論界や芸能界、原子力学界では、「原発反対」を言うものなら、とたんに仕事が干され、あるいは締め出されると噂されており、私は恐らくそれは事実だろうと思っている。

このような中で、政財官のトライアングル癒着構造に、学界、マスコミまでもが原発推進に取り込まれ、結果として、脱原発や反原発の声は封じ込められ、自民党政権でも、民主党政権でも、国策として進められてきた。結果として原発大政翼賛会的な雰囲気の中で、コストが最重視され、安全性が省みられることは少なくなった。

そして原発は、あの時期の公共広告機構の広告のように、「ポポポポーン」と、次々と爆発した。

続く-->

行き詰まりのグローバル経済

2011.10.07

現在、為替相場は、とどまるところを知らない円高で推移している。これは、これまで輸出を基調としてきた日本経済にとっては大きな痛手である。「円高」は、基本的には円が相対的には他の通貨より信頼があるということで、悪いことではないはずが、このままでは日本の経済が成り立たなくなる恐れすらある。だからこそ、輸出産業を柱とする経済界はTPPを推進したいのだろう。

しかしこの円高問題は、現在の日本の経済が、輸出に偏りすぎていることを意味するもので、内需とのバランスがとれていれば、大きな問題ではないはずのものだ。内需を犠牲にして輸出産業を拡大してきた経済のつけが今回ってきているのだと思う。

私は、これまで反グローバルの立場で、究極のリサイクル社会、エコ社会、自給自足経済社会である江戸時代の経済に興味を持ってきた。100%内需の鎖国経済を、もちろん全面的に良しとしているわけではないが、内需拡大の基本がそこにあり、外需と内需は、そのバランスの中で考えていかなければならないものだと考えている。

時折取り上げられる「内需拡大」は、「地産地消」の様な掛け声やスローガンでなんとかなるものではない。脱グローバル化として考えられる、「地方分権」「首都機能分散移転」「内需拡大」「地産地消」などは、これまで常に掛け声倒れで終わっている。それは、現在日本は中央集権国家であり、輸出産業中心の産業界が主導する社会であることを考えれば当然である。

原発事故以来、国民の多くが考え始めている「脱原発」にしても、グローバル化を目指す現在の産業構造の中では実現可能なものとは
思えない。あのペテン師菅総理のように、「TPP」や原発輸出を進めながら、「脱原発」を口にするだけで可能なものでは到底ない。

「TPP」や「原発問題」「円高」にしても、それらはグローバル化社会が抱え込んだ矛盾であり、それは現在国際的にも行き詰まりを見せている。政治は、戦略的な政策を立て、産業構造そのものを考えなければならない大きな問題だ。

今回の大震災で、東北地方は大きな痛手をこうむった。また原発事故では、脱原発に目を向けざるを得ないと多くの者が考えている。今回の大震災においては、原発事故はもちろん、被害の多くは、これまでの傲慢な人間が作り上げた社会構造からきたものであることは歴然である。

現代社会は、少しの便利さを得るために、大きなものを失ってきた。例えば、かつては包装材には間伐材で作られる経木や折箱があった。また梱包材として、稲藁で作った縄やムシロがあった。それがいつのまにか殆どがプラスチックになっている。これらの多くは、地方の小規模な産業の中で生み出されていたものだが、それは失われ、過疎化が進み、山は荒れ果て、ダイオキシンの問題やごみ問題を生じている。

また、都市の中央部まで出て行かなくても、それなりの品揃いをしている郊外型の大規模店舗が各地に進出している。しかしそのため、それまで機能していた地域の商店街が衰退し、シャッター通りと化し、地域から活力と経済力が奪われてもいる。

私は、産業構造を、輸出志向の大規模産業から、内需志向の小規模産業、地場産業に転換していかなければならないと考えている。またかつてはあった職人の技を復活させなければならないと思っている。その上で、例えば、大規模石油産業から、小規模な農村の間伐材加工産業へ就労を移さなければならないと考えている。要するに大資本の産業構造を押さえ込み、小資本の産業を振興し、生産手段を一部の大資本から国民の手に戻さなければならない。

今、東北は大震災により、根こそぎにされマイナスからのスタートをしなければならない地域も多くある。現在、それらの地域では、とりあえずインフラの復旧が進められ、ある意味では震災特需になっている。かつては、民主党のスローガンの「コンクリートから人へ」のような感覚で、公共事業が抑制されてきたものが、コンクリートでの内需が拡大している。もちろんこれは一時の「特需」で終わるものだが、その復興までの間に、内需と外需のバランスの取れた産業構造になることを切に願っている。

日本での二大政党制の実現のために②

2011.08.20

>今必要なのは、硬直化した「右翼」と「左翼」の政治のやりとりではなく、国際社会を見据えながらの、グローバルと反グローバルのバランスの中の政治であり、その元での二大政党制だと私は考える。<

現在、民主党政権のあまりのひどさに、批判は民主党に集中しているが、自民党が良いのかというとそうでもない。自民党が政権を失ったことにはそれなりに理由もあり(マスコミの偏向報道はとりあえず置いておくが)、民主党への批判が、そのまま自民党の積極的な支持にはつながっていない。

自民党政権へのマスコミの偏向報道で、口当たりの良い詐欺的マニフェストに乗った国民のポピュリズムにも大きな責任と問題がある。しかし、民主党に愛想をつかした国民が、自民党への支持へと向かない現状は、国民の賢明さが表れているとも思える。

自民党と民主党との対立軸は、これまで右と左、財界と組合といったもので、野党時代の民主党が、単なる批判勢力だったときにはそれでもまだ良かった。しかし、与党になった民主党は、現実的に政策を進めなければならなくなった時点で、内在する右と左がジレンマを起こし、右的発想は財界に擦り寄り、左的発想は同盟に擦り寄り、結局自分たちでは何も決められない状況に陥ってしまった。

21世紀の政治の軸は、グローバルと反グローバルを軸とした政治と私は思っている。それは対立軸というよりも、時代状況の中で、そのバランスの上で政治は行われなければならないというもので、そこにこそ二大政党制の意味があると思っている。これまでの「左翼」は、現代の日本で政権党につけるほどの現実性を持ち合わせてはおらず、日本共産党自身がよく言うように、「野党らしい野党」であることに存在意義がある。

現在、民主党内でも自民党内でも、そのグローバルと反グローバルの基本的なスタンスは混在し入り乱れている。ご都合主義のペテン師菅総理などは、グローバル化のTPP推進や、原発輸出を柱とする新成長戦略を進めていたかと思えば、突然反グローバルの脱原発やエネルギーの地産地消を言い出すありさまだ。

現在、自民党政権時代からこのかた、日本はグローバル化に向かってまっしぐらに進んできた。それは世界的な傾向でもあった。「内需」を拡大するのが反グローバルであるとすれば「外需」拡大がグローバル化だろう。

現在、日本や欧米諸国や韓国などは、海外市場を拡大しようとしのぎを削っている。国際競争の激化から、企業は賃金を抑え、生産拠点を海外に移し、内需を冷え込ませながら生産力を肥大させ、外需の開拓に他国としのぎを削る。それは大戦前の状況にも似ており、資本主義のゆきずまりのようにも思われる。

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